今回は涼しさを求めて、北海道は小樽からのレポートです!小樽名物と言ったら海鮮丼、若鶏の半身揚げ、ルタオのドゥーブルフロマージュなどがありますが、今日は「にしん」を特集したいと思います。地元の人イチオシの「民宿 青塚食堂」にお邪魔しました。
民宿 青塚食堂
ここ「民宿 青塚食堂」は小樽のメインの観光地である小樽運河からは少し離れたところにあります。バスでの移動が無難かと思います。
それもこれも実は、海鮮市場の地元のママとの会話の中で
「小樽でお魚食べたいんなら、青塚食堂に行くのがいいよ、うん、絶対行った方がいい。
バスもあるし、今から行けば空いているだろうしさ、行って来なよ」と。
わかりました!行きましょうー!
バスから降りて少し歩くと、、、見えて来ました。

ここの名物は炭火の「特大にしん焼き」。お店の外で焼いていますね。

民宿 青塚食堂「特大にしん焼き」
ここのにしんが本当に美味しいんです。身がふわふわしていて、不思議とあまいんです!ぜひ一度食べてみてほしいです!さらに余計なあぶらを感じないのは炭火焼きだからかもしれません。
小樽とニシン
ご存知でしょうか。小樽はかつてニシンで栄えた漁場だったのです。
ニシンゴールドラッシュ
明治から昭和初期にかけてニシン漁で空前の繁栄を遂げたそうです。当時のニシンは、食用としてだけでなく、主に「鰊粕(にしんかす)」と呼ばれる肥料に加工され、本州の綿花や藍の栽培に欠かせない重要な商品でした。このニシン貿易によって莫大な富が小樽にもたらされ、「ニシン大尽」と呼ばれる網元たちが次々と誕生しました。彼らは競うようにして豪華な網元住宅兼漁業施設である「ニシン御殿」を建てました。その中でも、祝津(しゅくつ)地区に現存する「旧青山別邸(小樽貴賓館)」や「小樽市鰊御殿」は、当時の繁栄ぶりを今に伝える貴重な歴史的建造物として、人気の観光スポットになっていますよ。
幻の魚から復活
しかし昭和30年代に入ると、乱獲や海洋環境の変化によりニシンの漁獲量は激減。「幻の魚」と呼ばれる時代が長く続きました。
その後、平成に入ってからの地道な稚魚の放流事業などが実を結び、近年、石狩湾系のニシンの資源は回復傾向にあります。かつてのような大規模な漁ではありませんが、再び小樽の海にニシンが戻りつつあるそうです。
小樽で味わうにしん料理
ニシン焼き: 新鮮なニシンを丸ごと一匹、炭火で豪快に焼き上げた料理。ふっくらとした身と香ばしい皮が食欲をそそります。
ニシンそば: 身欠きニシン(干物)の甘露煮を載せた温かいおそば。こちらは、料理としての発祥は京都の祇園にある「総本家にしんそば 松葉」とされています。小樽で採れた保存食としてのニシンが京都でにしんそばとして楽しまれたのですね。もちろん「民宿 青塚食堂」でもいただけますよ。
保存食としてのニシン?
当時食用としてのにしんが全国に流通することができたのは、日本の伝統的な優れた加工技術のおかげなんです。それは、獲れたニシンの頭と内臓を取り除き、天日と寒風でカラカラに乾燥させて出来上がった身欠きニシン、これは水分が抜けているため、長期間の保存と輸送が可能になりました。
当時、北前船(きたまえぶね)などの和船で、北海道から京都や大阪、本州の日本海沿岸など全国各地へ運ばれました。このように京都に運ばれた身欠きニシンはにしんそばとして食されるようになったのですね。
小樽とホッケ
民宿 青塚食堂にはもう一つの「特大にしん焼き」に並ぶ人気商品があります。それが「特大ホッケの開き」です。
驚くことに、現在の小樽市で最も多く水揚げされている魚は、実はホッケなんです。小樽市が公表している漁獲量のデータでも、ホッケは他の魚種を大きく引き離してトップを誇ります。春と秋の産卵期には沿岸に近づくため、脂がのった美味しいホッケが豊富に獲れます。
ホッケは、かつての「厄介者」?
今では食卓の主役級のホッケですが、かつてニシン漁が隆盛を極めていた時代には、ニシンの卵を食べてしまうことから「厄介者」として扱われていたという意外な歴史もあるようです。しかし、食文化の変化とともにその美味しさが見直され、今では北海道を代表する魚としての地位を確立しました。
ぜひ、青塚食堂を訪れた際は「特大にしんやき」と「特大ホッケの開き」も味わってみてください。脂ののったぷりぷりのホッケをいただけますよ!食べ比べをしてみるのもいいかもですね
お店情報
—— 民宿 青塚食堂 ———-
〇営業時間
・平日 : 10:00-19:00
・土日 : 10:00-20:00
〇住所
〒047-0047 北海道小樽市祝津3丁目210
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