本日は千葉市緑区土気駅近くの昔ながらの雰囲気漂う菓匠マルヤを訪れました。
菓匠マルヤはこんなところ
土気駅にあるこぢんまりととして和菓子屋さん。看板商品はあすみ団子。

お店の外も中もあすみ団子が売りのようです。しかし残念ながら、当日は品切れでした。

「菓匠マルヤ」栗最中のお味
そんな中ショーケース左端から興味をそそるものを見つけました。それが、こちら栗最中。

見つけました、一品の栗最中を。


この、みっちりと詰まった白あんがわかりますでしょうか。ほど良い甘さで、口当たりなめらかな白あんです。さらに粒々の栗がコロコロと入っているのが、また嬉しいですね。
そんな栗最中に感動した傍ら、あれ、最中ってなんで最中と呼ばれるのでしょうか。饅頭?とは違うし,,, 皮のことを元々最中というのでしょうか。あのパリパリ生地に挟まれたアイスも「アイス最中」と呼びますよね。きっとそうなんでしょうか。パリパリの皮を最中というに違いありません。
いいえ違うんです。
最中の語源
最中の物語は、食べ物としてではなく、一編の和歌から始まりました。
少し長いので、、、答えからお伝えします!
「中秋の名月で振る舞われた白い餅菓子がお月様に似ていますね。それでは、最中の月と呼びましょう」ということです!

今から千年以上も昔の平安時代、宮中で催された月見の宴の席でのことでした。当代随一の学者であり歌人であった源順(みなもとのしたごう)が、勅撰和歌集である『拾遺和歌集』に収められることになる歌を詠みました 1。
「水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の 最中なりける」
(みのおもに てるつきなみを かぞふれば こよいぞあきの もなかなりける)
この歌は、「水面に映る月の光が揺れる様を数えていると、今宵こそがまさに秋の真ん中(満月)なのだなあ」という意味です。この「秋の最中(あきのもなか)」は「秋の真ん中」、すなわち中秋の名月を指します 1。同時に、この宴で振る舞われていた円形で白い餅菓子が、夜空に輝く満月にあまりに似ていたことから、公家たちはその菓子を「最中の月(もなかのつき)」と呼ぶようになりました 1。こうして、「もなか」という名は、食べ物の名前として、極めてロマンチックで貴族的な起源を持つことになったのです。
しかし、この時「最中の月」は未だ白い餅菓子。私たちの知るパリパリの皮に包まれた饅頭ではありません。
最中饅頭の誕生(江戸時代)
「最中の月」という名は、その後何世紀にもわたり、詩的な概念として存在し続けました。私たちが今日知るような物理的な菓子として誕生するのは、時代が下って江戸時代中期のことです。その舞台となったのは、江戸(現在の東京)の遊郭街として知られた吉原にあった「竹村伊勢」という煎餅屋でした 2。
この店は、餅米の粉に水を加えてこね、蒸してから薄く焼いた干菓子を、かの平安の故事にちなんで「最中の月」と名付けて売り出しました 2。この時点ではまだ餡は入っておらず、砂糖をまぶした甘い煎餅のようなものだったと言われています 1。
現代の最中の直接の祖先が登場するのは、さらに後の時代です。この「最中の月」の皮で餡を挟むという画期的なアイデアが生まれました。この新しい菓子は「最中饅頭(もなかまんじゅう)」と呼ばれ、当時の商業の中心地であった日本橋界隈で人気を博したことが、江戸時代のタウンガイドブックともいえる『江戸買物独案内』に記録されています 16。これが、餡を挟んだ現代的な最中の原型となったのです。
参考文献
1, 最中を語る|和菓子のお話 – 幸福堂, 6月 24, 2025にアクセス、 https://ko-fukudo.co.jp/topics/topics-33/
2, 最中の由来 – 最中種(もなかの皮)の販売 [ もなかや.com ], 6月 24, 2025にアクセス、 https://monaka-ya.com/?mode=f6
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